コピーライティングは芸術だ
こんにちは、にょびたです。
あなたは絵を描くのは得意ですか?
私は「画伯」と呼ばれるくらいヘタクソですww
なぜなら、あまりの下手さ加減に子供の頃に自分の絵を友達にバカにされてから、絵を描くことが面白くないからです。
そのため、全く遊びでも絵を描くことをしなかったため、今でもそこら辺の幼稚園児よりもヘタだと自負をしております。
さて、本日はコピーライティングには絵画や彫刻などの芸術と同じ要素があることを書いていこうと思います。
そのため、コピーライティングも最初は型にはめて練習をするのですが、最終的にはコピーライティングというものを捨てて、芸術の域に達するのが理想なのです。
それでは、いってみましょう!!
コピーライティングは芸術だ
コピーライティングと芸術の共通点
コピーライティングと芸術の共通点は、「心で感じるもの」だということです。
コピーライティングは見込み客の心を揺さぶるので、見込み客側からみれば心で感じていますし、芸術も同じく心で感じます。
つまり、コピーライティングも芸術も主観的なものということもできます。
主観的なものなので、ある人は感動するかもしれませんが、違う人は何も感じないといったことが起こり得るのです。
なぜならば、主観的というのはその人がどう感じるか?ということなので、育った環境や今までの経験から感じ方に個人差ができるからです。
例えば、
日本で育った我々日本人と、ヨーロッパで育った人では、同じお寺や神社を見たときに感じるものが違うのと同じことです。
ヨーロッパ人は、建物が木でできていることに感動するかもしれません。しかし、日本で育ってきた人からすると、そんなことは当たり前ですし、
逆にヨーロッパに行った時に 、日本人は石造りの教会に感動するかもしれないのです。
このように、コピーライティングは主観的なものなので、全ての人の心を響かせるということは不可能なことなのです。
だから、わかる人には心に深く刺さる言葉を届ける
子供頃に本でピカソの「ゲルニカ」を見た時のことを今でも覚えているのですが、私はその絵の何が良いのか全くわかりませんでした。
もちろん、ピカソの「ゲルニカ」はピカソの代表作の一つですし、世界的な評価もトップレベルです。
本物は大きく圧倒的なスケール感があるそうなので、大人になった今、本物を目にすれば今までにない感情が湧いてくるのかもしれません。
しかし、子供の頃の私にはただの絵にしか見えなかったのです。
これと同じように、コピーライティングも「わかる人に言葉が届けば良い」という一面があります。
それは、ターゲットを絞ってセールスレターを書くので、ターゲットとかけ離れた人には子供の頃の私のように、全く心に届かないものです。
しかし、コピーライティングの場合はターゲットをこちらが指定してますので、ターゲット周辺の人の心には深く刺さる言葉を届けなければいけないんです。
このように、コピーライティングも芸術も「わかる人」には、熱狂的に支持されるものを目指さないといけないのです。
最終的にはコピーライティングを捨て去る
芸術とコピーライティングとの共通点の最後に、「最終的には捨て去る」ということがあります。
何を捨て去るのかというと、テクニックです。
コピーライティングでいうと、QUESTやAIDAなどの型だったり、「あなた」という言葉を使ったりと様々なテクニックがあります。
しかし、最終的にはそこから離れて、つまり捨てて自分の道を極めるのが理想なのです。
これは、先ほどのピカソをみれば芸術と同じだということがわかります。
ピカソの若い時の絵というのは、晩年からは考えられないくらい、まともでしかもすごく綺麗で感動するものです。
しかし、若くして絵の道を極めてしまったピカソは、今までの技法などを捨て去った上で自分流を極めていくことになります。
このように、コピーライティングも今この世にあるセールスレターのレベルまで達した後に、その上を目指そうとすれば自ずと芸術のように、今までのテクニックは捨ててしまわなければならないということなのです。